江戸紫プロジェクトへの軌跡
紫というバンド名を知っている人はけっこう居るのに、
なぜか、紫の楽曲を演奏するバンドは本家以外に居なかった。
紫は沖縄をメインで活動をしているバンドなので、
沖縄を訪れないかぎり、その音を体感できないのが残念でした。
紫の名曲を沖縄限定にするにはもったいない…
漠然と常々思っていました。
紫を知ってハードロックの世界に引きずり込まれて四半世紀以上
周りに変化が起き始めました。
2003年2月、NOVELAのトリビュートバンド「魅惑劇団」の初ライブ。
その打ち上げで同席したのが、元「カブキロックス」の坂川美女丸氏でありました。
その席で紫の話題で大盛り上がり。
こんな所に紫を愛するギタリストが居たとは!
翌年、2004年1月。
大阪で行われたハードロックサミット。
何と沖縄から新生紫が本土上陸との事!
これは一大事! 速攻でチケットの手配をしました。
紫の終演後、偶然紫のリーダーであるジョージ氏に遭遇。
面識などないのにも関わらず、声をかけてしまいました。
その時近くに居たSHOKO氏、硬直状態。
聞けば、なんと紫を愛するキーボーディストでありました。
知らなかった…(というか意外でした)
この時の紫に触発されたのか…
久しぶりにバンド活動を再開しました。
NOVELAのボーカル五十嵐久勝氏率いる「ENIGMISTA」への参加でした。
この時のベーシストは「魅惑劇団」のKammie-ju氏。
何と、彼も紫を愛するミュージシャンだったのです。
2004年7月、「ENIGMISTA」の初ライブ。
その最後のセッションタイムにいきなり乱入してきたボーカリストが!
それがAHO-WADA氏でありました。
彼もまた紫の超フリーク。
厚木の基地などで歌い鍛えられた下地は紫にも通じる魂を感じました。
みんなの接点はないままですが…
なんとなくメンツが揃い始め、
AHO-WADA氏と
「紫のカバーをやりたいね」という話が勃発。
しかし、紫を愛するドラマーが見つからなかった…
その翌年、2005年8月。
沖縄で行われた30年目の8.8 ROCK DAY。
AHO-WADA氏、SHOKO氏を含む仲間大勢で沖縄に飛びました。
そう、沖縄での紫を堪能するために。
時代は変わりましたが、東京とは違いやはり客席には米兵が多い。
ノリ自体も東京とは違います。
8.8 ROCK DAYの前夜祭。
ジョージ紫氏の長男&次男で結成されているバンド「8-BALL」のライブ。
なんと代表曲の「Need for speed」でSHOKO氏飛び入り演奏。
録音ではオルガンはジョージ紫氏が演奏。それを完璧にカバー。
ギターの佐藤圭一氏との高速の掛け合いはリハ無しとは思えない程。
翌日、紫のライブ。
やはり本家の紫はすごい。
紫の終演後、AHO-WADA氏と私は何とステージへ…
オルガンのジョージ紫氏、ドラムの宮永英一氏と共に
ライブを敢行! 感動でした。
そのまま時は過ぎ、3年後。
2008年5月、
日比谷野外音楽堂で行われた紫のライブ。
なんと、ギタリストはオリジナルメンバー二人が復帰。
ボーカルにはジョージ紫&マリナーのJJ氏が…
このライブの客席で旧友に再会。
1991年、鹿鳴館などで活動をしていた「Vie Crucis」のドラマーHOZY氏でした。
聞けば、紫のドラム、宮永氏をリスペクトしているとか!
そのうえ、偶然にもAHO-WADA氏の地元の後輩だった…(世の中狭い)
この再会をきっかけに、
紫のトリビュートバンド結成の話が再浮上。
2008年秋、「江戸紫プロジェクト」結成。
2009年2月、初のお披露目という事になりました。
2011年、諸事情によりドラマーがWATARU氏にチェンジ。
5回目のライブより参戦!
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