introduction
ベトナム戦争の真只中、米軍の後方支援の重要な基地であった沖縄。
米兵が使うドルで街が潤っていたと聞ききます。
そんな時代に産まれたバンド「紫」
当時の沖縄のバンドはAサインバー(沖縄米軍がドル払い可能なバー)で
連日若い米兵たちを相手に演奏していたそうです。
明日にも命を落としてしまうかもしれない彼等と渡り合うには
生半可な演奏では通用しなかった…
と以前何かで読んだ記憶があります。
しかし、沖縄は第二次世界大戦の時の激戦地です。
大きな被害を受けた悲しい過去はまだ記憶に新しいはずなのに、同じように戦争の為に活気づいているという皮肉で悲しい現実のバランス。
1972年5月
そんな渾沌とした時代に沖縄はアメリカから返還されました。通貨はドルから円へ。車は右から左側通行へ…
慣れるまでは交通事故が絶えなかったそうです。
東京に居る自分にとって当時の沖縄は想像ができない環境でした。
しかし、戦争の暗い影とは裏腹にマスコミで紹介される美しい空や海。そして、父親がよく聴いていた沖縄のメロディー。なぜか子供の頃から身体に入ってしまっている2度と6度の抜けた琉球の5音階
。れらすべてがミクスチャー状態で、沖縄はとても気になる「外国」でした。
しかし1972年、沖縄はパスポート無しでも行ける場所になった訳です。マスコミの情報だけが頼りでしたが、東京よりもアメリカに近い沖縄は
日本のロックの最前線のように感じられ、そんな中でロックを体感したい!
という願いだけが強かったのですが、やはり東京を離れることができぬままでした。
そんな沖縄から1975年、突如本土上陸を果たしたのが紫でした
初めて体験する最前線の音に衝撃を受けてしまいました!
そして、フォークギターを置きストラトキャスターを手に入れるためにバイトしました。
Boy meets the MURASAKI
初めて生の紫の音を聴いたのはいつだったのか…
もちろんアルバムデビューした1976年春以降であるのは間違いないです。しかし、私事ではありますが、
大学受験に失敗し2年も浪人していた時期です。
そう、1975-77年の3年間は現役時代を含めて受験生だったんです。これって、まさに紫が精力的に活動していた時代と合致!
大手を振ってライブに行くのも気が引ける時代でした。しかし、紫のコンサートには何度か足を運びました。
初めてのハードロック体験です。
当時のステージはセンターにパープルメタリックのWバスのドラムセットYAHAHA YD-9000。
その両脇に並べられた紫色のマーシャルアンプ(3段積み)の壁。ステージ下手にはハモンドオルガンとレスリースピーカー
この紫のマーシャルの壁を観ただけで戦慄を覚えました!
か・かっこいい~~~! って。
その後、バンドを始めてから必死でバイトしてマーシャル3段積みを幾つか入手し、壁にした時は嬉しかったなぁ~。紫色は高かったから黒でしたけどね
。
正月前後にあった野外ライブの時には
暖かい沖縄から出て来て、こんな寒い東京で手が動くのだろうか?
などと妙な心配もしたりして…
でも、始まってしまったら全開でした。
こうしてハードロックを生で体験してしまい、フォーク少年だったのにフォークには戻れなくなってしまいました。
紫のコンサートの曲目の中には、レコードに収録されていない曲がたくさんありました。それがまたかっこいい~。これはなんて曲? って真剣に思いました。後に解ったのですが、それは DEEP PURPLE にカバーでした!
そうです、私、当時 DEEP PURPLE を知らなかったんですよ…
あ、さすがに
Smoke on the Water は知っていましたけど。
そんな訳で、紫の影響で DEEP PURPLE を聴きはじめ
リッチー・ブラックモアにはまってしまいました。
普通、逆ですよね。
それまで たくろうとか陽水聴いてたのでロックには疎かったんです。
実は、DEEP PURPLEを知った時にはすでにリッチーは脱退していて
RAINBOWなる新バンドを結成しておりました。
しかし、前述のごとく受験生だった私は
ロニー在籍時のRAINBOWの来日公演も行くことが出来なかったんです
嗚呼、あのコンピュータ制御のでかい虹を生で観たかった…
ぎんざNOW
テレビで紫を観たという記憶はほとんど無いのですが、一番印象に残っているのが「ぎんざNOW」です。これは平日の夕方TBSで放映していたバラエティー番組で、ハンダースやラビット関根などを世に送り出した「しろうとコメディアン道場」が有名です。
しかし、この番組はけっこう侮れなくて、何故か凄いバンドが出演していました。
もちろんオンエアの日時やセットリストは覚えていませんけど、なんと、紫が登場した日は他のコーナー一切無し。番組の時間フルに紫のスタジオライブで押し切りました!
公開生放送だったので銀座まで飛んで行きたい気分でしたが、必死にテレビにかじりついて観た記憶があります。
家庭用のビデオなんてまだ無い時。
記録に残ってなんていないですよね。 残念です 。
… なんて思っていたのですが、
なんと有る所には 有るんですねぇ~。
この番組がオンエアされた1976年の夏から約30年目にしてようやく、画質はイマイチですが、この番組のビデオを入手する事ができました。司会の山本雄二&讃岐裕子のふたりはほとんど紫のこと知らないみたいでなにかと浮いていますが… そんな事はお構いなしの紫です。SEの
Rock'n Roll Nightmare が流れる中、紫登場!
そのまま楽器を持ち、SEにかぶるように始まった1曲目
Rock'n Roll Nightmare
見るとドラムセットやアンプ類はレンタルの模様。
さすがに普段のセットをすべて持ち込む事はできなかったようです。
白いドラムセットには紫ステッカーを貼ってしのいでおりました。
ツアーの途中との事だったので、機材は移動中だったのでしょうか?
でも、さすがにジョージさんの鍵盤関係はしっかり揃ってます。
短いMCを挟んで始まったのが当時出たばかりの1stアルバムの1曲目 Double Dealing Woman そしてイントロにメンバー紹介をして 始まったのが
Do What You Want いわゆるお馴染みのナンバーの連射攻撃であります。
そしてつまらない的外れなトークコーナー。紫のメンバーもほとんど喋らず終わってしまった。
くだらない話するくらいなら、演奏だけでいいのに…。せめてトークの内容くらい決めておいて欲しかったです。
そして最後の曲、このオンエアは夏だけど、その秋に発売される新曲
Free 合計4曲。
まだセカンドアルバムが出ていないのでファーストからだけの選曲でありました。
当時はテレビの前でもの凄く感動しながら堪能したのですが
こうやって改めて冷静に見直すと「もったいない~」って感じです。
せっかく番組の時間をフルに使って紫の演奏をオンエアするなら
もっとしっかりした段取りや企画をして欲しかった。
せめてインタビューなどは音楽の事をちゃんと理解している人にお願いして欲しかったなぁ~
ま、今と違って録画されるという前提はないから
ある程度やっつけで流してしまった仕事だったのかもしれないけどあれじゃメンバーも可哀想~って感じです。
まぁ、企画が通ってオンエアにまでたどり着いただけでもすごい事だったのかもね!
しかし、30年経った今また見ると、なかなかこれが感慨深くて面白くもありますなぁー。
紫を紹介する冒頭のVTRのナレーションが時代を感じさせてくれます。
泣けるなぁ~ いや、笑うか……今だったら。
楽器を持つ前から曲が始まっているのに、どうやって繋いだのだろうという疑問が有ったのですが、2009年、下北沢での紫のライブの打ち上げの席にて、メンバーに尋ねてみたところ、あっさり「あれ口パク」と言われてずっこけましたが、長年の疑問の答えが貰えてすっきりしました。
ジョン・ロード奏法
レコードになった音源を楽譜に起こして売っているのはバンドをやっている方ならよくご存知ですよね。
当然、紫のバンドスコアも存在しましたが残念ながら、入手はしませんでした。
当時、Keyboard をやっていた友人が「ジョンロード奏法」なる
鍵盤メインのスコアを買いました。なんと、ジョージ紫氏が書いた本じゃないですか!
ジョンロードとのトークセッションも記載されていました。
ああ、奪いとっておけばよかったかなぁ~
誰か持っていたら見せて下さい~!
という念願が叶い、2004年(出版から25年目)
再び手にすることが出来ました!
Victor Music Plaza@BIG BOX
1977年11月に発売された2枚組のライブアルバムですが、このLPの発売前に高田馬場にあるBIG BOXのビクターミュージックプラザでアルバム発売記念のイベントがありました。
当時学生で高田馬場に通っていたので難なく行くことが出来ました。
当然、メンバーは出席していません。ライブではないし、沖縄からわざわざ来るのもね。でも、発売前の音源を聴くことができ感動でした!
家ではあんなでかい音で再生できないですから。
しかし、このイベントって告知が遅かったのか、
集まっていたのは数十人でした。
何よりも嬉しかったのは、紫のメンバーが機材に貼っている紫のステッカーが配られた事ですね。
黄色地の日章旗の中央に「紫」と描かれたお馴染みのデザインのステッカーです。
スタッフのみなさんとても感じが良くて、たくさん持って行きなよーって何枚か渡していただきました。
早速帰ってから紫のメンバー同様にギターアンプのヘッドに貼りました!
でも、まだマーシャルをゲットする前だったので、ローランドのアンプでしたけど。
今となっては1枚でも使わずに保存しておけばよかったなぁと後悔しとります。友人にあげたりしてもう手許には1枚も残っていません。
そう言えば 1975年12月に来日した DEEP PURPLE ですが、その時ベースのグレンヒューズの白い衣装の胸に何と、この紫のステッカーが貼られていたんですよね。確か、この来日の折にジョージ紫氏とジョンロードの対談(インタビュー)が
行われたのではなかったかと思われます。(記憶が曖昧でごめんなさい)
そんな流れでステッカーもプレゼントしたのでは?(勝手な推測~)
しかし、この時の DEEP PURPLE のギタリストである今は亡きトミーボーリンは手を負傷していたせいでライブは最悪でした。
いいギタリストなのに残念です。 彼の歌も好きでした。
結局第4期の DEEP PURPLE ってボーカリストが3人も居た訳ですね。
2005年 8.8 ROCK DAY @ KOZA
2005.8.7(日)
明け方に寝た割には元気よく午前中から起き出した。
ひとりでBCストリートを散策。
楽器屋さんを覗いたり、美味そうな店を探したりして徘徊。
でも、シャッターを閉めている店が多くてちょっと寂しかった。
ホテルの大浴場で汗を流してから、ランチを摂ったのはBCストリートのBam Boo Cafe。
昼からオリオンビールとアジアンプレート。
ここはエスニック系が苦手な私でも美味しく食べる事ができました。
近くだったらリピート必至のお店です。(店員さんも感じ良かった)
夕方5時過ぎにホテルのフロントに愛器のストラトキャスターが到着。
それを片手に夜7時過ぎ、仲間達と共に聖地コザの
7th Heaven に向かいました。
8.8. ROCK DAY 2005 紫のライブです。
ジョージ紫プロジェクトの曲なども交えながら、往年のナンバーの応酬。
最前列で見ていたのですが、やはりジョージさんのハモンドはかっこイイ。私をロックの世界に引きずり込んだ音は今も健在でした!
2部構成のライブも終了し、一段落した所で私は愛器の準備。
そう、とんでもないサプライズなセッションが待っていたのです。
ダメ元で事前にメールで打診してあったセッション。
当日、その時間にならないとどうなるかも分からない企画。
ライブ直前にチビさんにちょこっと振ってみたら
「面白そうだねぇ~」と言ってくれはしたのだが…
恐れを知らないのか?我々の仲間有志と紫との夢のセッションです。
客がまだ残っている店の中、「そろそろ始めるよ~」の声。
いきなり現実的になって若干ビビリはしたものの、酒も入った勢いで
白いストラトキャスターを手にステージへ!ハモンドの前には憧れのジョージ紫さんがぁーーーー!(いいのかあ?)
ベースはなんと8-Ballのテクニカルベーシスとクリスさん(2007年より紫に加入)がぁ~!
そして、後ろのドラムセットの中には何とチビさんが微笑んでいる!!
歌は仲間の親分ことAHO-WADAさん。
ツインギターの相方はやはり仲間のSMOさん。知った顔が居てちょっと安心しながらストラトをマーシャルにプラグイン。
チビさんのカウントでいきなり始まったのは紫の代表曲
DOOMSDAY 死ぬ程聴いていたお馴染みのイントロを自分が弾いている。
後ろで鳴っている音、ドラムやハモンドは紛れも無く本物だ!
背筋に鳥肌が立つ程の感動と興奮をコントロールするのが精一杯。
いったいどんなギターを弾いたのやら~
2曲目はジョージさんのハモンドから始まった。
それを同じステージの上で聴いているだけでも倒れそうでしたよ。
そして始まったのが
DOUBLE DEALING WOMAN これでもか! って位の代表曲であります。
ついさっき本家がやったばかりの曲を弾くなんて~
恐れ多いことこの上ないのですが、幸せでした!
この2曲でSMOさんは降板。ギターは私独りに…
そして最後の曲。
HIGHWAY STAR 今まで何度かこの曲を弾いた事ありますけど、
こんな贅沢な環境で演奏したのは初めてです。
もう、この曲弾くの、封印してもイイ! って思ったくらいです。
感動はギターソロに訪れました。
紫の演奏する
HIWAY STAR は必ずスタジオバージョンなので私もギターソロをスタジオテイクで弾きました。
後半のお約束のフレーズでハモンドがハモってるじゃないですか!
振り返るとクールなジョージさんと目が合った!
ああああ、夢が一つ叶った! と感動しながら弾き倒しました。
チビさんは叩きながらニコニコとアイコンタクトで返してくれます。
もう、最後はギターを破壊してもいいか? ってな気分でした。
もちろんそんな事しませんでしたけどね。
演奏後、チビさんにタックルされて「よかったよぉ~」の一言。
ああ、報われたぁ~
その後のビールの美味かった事は言うまでもありませんね。
撤収後は、仲間&8-Ballのみんなで飲みに行きました。
その時にRayさんから聞いたのですが、
チビさんが紫の今回の2曲を叩いたのは1997年の再々結成以来だったそうです。
それを聞いて更に感動と戦慄を覚えた私とWADA親分でありました。
ほろ酔いでホテルに戻り大浴場で汗を流し心地よい夢の中へ~